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摂津市鳥飼銘木町 原木・銘木・製材加工
株式会社 中喜

下駄を鳴らして奴が来る

下駄はもともと水田や湿地での沈み込みを防ぐため使われた木版が始まりとされていて、弥生時代の遺跡からも出土しています。「田下駄」と呼ばれて20世紀まで使われ続けた地域もあるようです。修験者などが履いた一本歯の高下駄は、山道に適した作りになっており安定して歩くことができました。二本歯の下駄は、隙間が土や石による凸凹の抵抗を和らげぬかるみの泥や人・獣の排泄物による汚れを防ぐ機能がありました。今に続く、歯が低い下駄になるのは江戸時代前期と言われています。
下駄は、足を乗せる部分を「台」、台の下につけるのが「歯」、鼻緒を通す孔を「眼」と呼びます。台の材としては主に桐、杉が使われます。寒い地方の方が年輪が細かくなり、見た目に美しいため東北地方の桐材は高級とされ、特に会津の桐材は下駄の台としての評価が高いです。杉は神代杉と大分県の日田杉が有名です。歯の材は樫、欅、朴などです。特に朴は樹種のなかでは高硬度で歩行時の摩耗が比較的少なく、下駄の寿命が長く重宝されました。眼の位置は前に一つ、後ろに左右並んで二つ。後ろの眼の位置は地域によって異なり、関東では歯の前、関西では歯の後ろが一般的です。
1975年に吉田拓郎の作詞作曲で、かまやつひろしが歌ってヒットした「我が良き友よ」の歌詞の中に「下駄を鳴らして奴が来る、腰に手ぬぐいぶら下げて、学生服に染み込んだ、男の匂いがやってくる・・」とあります。遡れば「バンカラ」は明治期にハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)に対するアンチテーゼとして粗野や野蛮が持て囃され、大学生が学生服にマントを翻して下駄で闊歩しました。夏目漱石の「彼岸過迄」の一説にも登場します。
「我が良き友よ」がヒットした当時、ベルボトムのジーンズに下駄を履いて街中を闊歩する若者が多くいました。かくゆう僕もその一人で、親父の下駄を拝借して学友と遊びに行ったりしました。裸足に木の感触が気持ちよく、歩くとカランコロンと乾いた良い音色が鳴りました。僕自身も、ひょっとしたら下駄を鳴らした奴が来ると云われていたかも。

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