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摂津市鳥飼銘木町 原木・銘木・製材加工
株式会社 中喜

スラッガー御用達

日本に野球が伝えられたのは、1872年(明治5年)。東京大学の前身である開成学校のアメリカ人教師ホレス・ウィルソンらが、母国からボールとバットを持ち込み学生たちに野球を教えたのが始まりとされています。その6年後には社会人を中心とした本格的野球チームが結成されています。この頃は、野球という言葉もまだ使われていなくて、「玉遊び」「打球鬼ごっこ」「庭球」など様々な名前で呼ばれていました。ベースボールを「野球」と和訳したのは旧制一高OBだった中馬庚とされています。また野球好きだった俳人の正岡子規はベースボール用語を日本語に訳しました。「打者」「走者」「死球」「四球」「直球」など、そのほとんどが現在も使われています。子規は松山に帰省した際に、バットとボールを持ち帰り松山中学の生徒らにベースボールを教えたと言われています。日本ならではの野球文化を広げるために正岡子規は大きな役割を果たしたとして、2002年に野球殿堂入りしています。
バットの素材は、アオダモ、ホワイトアッシュ、メイプルの3つが主流となっています。アオダモは日本が誇るバットの材料です。その特徴は柔らかい、粘りがある、加工がしやすい、そのためしなりがあり、それが反発力につながります。また耐久力があって軽いので、日本人の選手はこぞってアオダモのバットを使います。ホワイトアッシュはしなりに乏しく耐久性に欠ける面がありますが、アオダモのように希少価値がなく、北米全域に生息しています。乾燥していることから、硬さがありボールをぶつけに行くような感覚になると言われています。メジャーリーガーの多くはホワイトアッシュを使い、多くの日本人選手もメジャーではアオダモからホワイトアッシュに切り替えています。素材の良し悪しではなく、アメリカの気候にアオダモよりホワイトアッシュが適しているというのが実情のようです。メイプルは近年注目度の高いバットの素材ですが、アオダモとホワイトアッシュの中間の性質を持っています。軽くて折れにくいことから、ホワイトアッシュからメイプルに切り替える選手も少なくありません。
王、長嶋時代から野球に親しんでいる僕は、堺に住んでいた関係で小さい頃から大阪球場(今は跡地がなんばパークス)に連れて行ってもらっていて、熱烈な南海ホークスファンでした。当時、日曜日にはダブルヘッダーがあって午後からナイターまで2試合たっぷり楽しめました。去年亡くなられた野村さんが選手として全盛期で、何本ものホームランを見せてもらいました。あのカキーンという打球音と空高く舞い上がる白球が美しく、今でも目に焼き付いています。王、野村に始まるスラッガーの系譜は今、若き才能あふれる世代に受け継がれています。

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